小さなミスと職務質問

今朝の明け方の時間、いつものように歩いて祈っていたのですが、途中で急に前日にやり忘れていた仕事のことを思い出しました。

すべて仕事を終えて何度も確認し、絶対にやり忘れたことはない! という確信の元、帰宅したのですが、そのことはすっかり抜け落ちていました。

なぜ急にそのことをその時に思い出したのかは分かりませんが、会社までは少し遠回りする程度で、歩いていける距離だったので、行ってやってしまおうと思いました。別に、朝、出勤後にやっても全く問題はないようなちょっとした事だったのですが、朝一番に出勤した社員が多少戸惑うかもな、というのと、どっちみち同じくらいの時間歩くのだし、たまにはルートを変えてもいいだろう、と考えたからです。

それにしても、なぜ忘れてしまったのだろう? あれだけ確認したのに。

しかし、よくよく考えると、私はたまにこういったちょっとしたミスをやらかしています。(大きなミスをしない、ということではありません。大きなミスもします)
自身の能力を過信してしまっているのか、いつもやっている事だから気が抜けてしまうのか「なぜ当たり前のこんなことを??」といったミスをしてしまうのです。

そう思った時、信仰生活でもこのようなちょっとしたミスをやらかしていないか? という思いに駆られました。

御言葉では、本当にピンポイントで私自身に突き刺さる指摘が幾度となくされ、その度に悔い改めているのですが、時に「今日のこれは大丈夫かな」と勝手に判断して、なんとなくスルーしてしまうことがあります。

しかし、そういった中に、忘れてしまっている私にとっての重要な何かがあったのかもしれない。

「すべての御言葉に従順に従わなければならない」

頭では分かっていても、実際には自分の勝手な解釈でやってしまっていることがあるのだと思います。そして「やっている」と確信していても、その中に忘れていることもあるのでしょう。

やはり、信仰生活において、当然のようにやっているすべての事を今一度確認してみなければ。

そのような思いに駆られました。

と、そのような事を、まだ「漠然と」ではありますが考えて歩いていた時に、前から来たパトカーが横に止まり、降りてきた警察に職務質問されました。

時間は2時半頃。

もうかれこれ十ヶ月ほど歩き祈りをしていますが、これまでこのようなことはありませんでした。それなのに、実は二週間ほど前に初めて歩き祈り中に職務質問されていて、今回で二度目。
たて続けにこのようなことがあったので「またか」という思いを抱きつつも疚しいことはなにも無いので(むしろこれ以上にない良いことをしているという認識があるので)臆することなく応対しました。

警察は、こんな時間になぜウォーキングをしているのか? と思ったようで「朝5時くらいになればウォーキングしている人もいるけれど、この時間ではあまりいない、この時間じゃなきゃいけないのですか?」と聞かれました。

私は、おそらく信仰生活のことを話しても理解してもらえないだろう、と思い「色々と考えるのに、この時間じゃないといけない。夜9時ころ寝て一度起きて、ウォーキングしたあと、また少し寝る」といったことを伝えました。

他にも職業、仕事の時間帯、名前、生年月日など聞かれ、持ち物を調べられたり、無線で身元を問い合わされたり(免許証を持っていませんでした)しましたが、警察の態度は常に紳士的で、高圧的な感じはなく、むしろフレンドリーだったので、不快な思いはしませんでした。

最後に警察からのアドバイスとして、反射板のついた服を身に付けておくと疑われにくい、と教えてくれました。泥棒や悪いことをしようとしている人は、反射板を身に付けないから、つけている人はスルーすることが多いのだと。

世間一般からすれば、この時間に起きていること自体が普通ではないですし、ましてや外を歩いているとなると、怪しいと思われて当然だという自覚はあったので、いつかは職務質問されるのだろうな、という思いはありました。

しかし、いくら後ろめたさもなく、むしろ良いことをするためなのだから、と思っていても、実際職務質問されると、その間、祈りが妨げられてしまうので、その時間がもどかしい。

それを避けるためなら、反射板くらいは身に付けてもいいかな、と思い、すぐにネットで探して千円弱の反射ベストなるものをポチりました。

もしかしたら、サタンが私の祈りを妨げようとして、警察をそのように仕向けているのかもしれません。ここに来て急に立て続けですから、焦っているのかも? 

それなら尚のこと、付け入る隙を与えないよう出来る限りのことをしなければ、と思いました。

とにかくなにが起ころうと、それに屈することなく、信仰生活を続けていきたいと思います。

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